幸道会の歴史

幸道先生 堀川幸道名人(1894~1980)は、堀川泰宗師の長男として明治27年4月10日、北見枝幸に生まれる。幼名を幸太郎という。 明治31年、堀川幸道先生が5歳の頃に一家は湧別に移住し、その後明治41年より20年間、湧別駅逓旅館を経営していた。

棒術二人捕り

 堀川泰宗は多方面に活躍した人で、 旧湧別村(白滝、生田原、遠軽を含む)の村会議員として村政に活躍する一方、柔術は渋川流柔術の奥義を極めていた。

 その頃、大東流柔術の普及指導で諸国行脚中の武田惣角先生が、ホタテ貝大漁の様子を見学するために湧別に来られ、駅逓に宿泊された。 それが機縁となって、武術愛好家の堀川泰宗は大正2年に武田惣角先生に入門する。


その後、武田惣角先生は4年間湧別に滞在された。


両手後ろ縛り合気技

  青年の頃より父から柔術を学びはじめていた堀川幸道先生も、 大正3年(1914)に武田惣角先生に入門、僻地校における教育に貢献される一方、大東流合気柔術の修業に励み、「秘伝目録」「秘伝奥義目録」「秘伝合気奥義目録」等を授かった。

 堀川先生はたびたび武田惣角先生の訪問を受けられ、武田先生の陶冶を受けられている。この間に、堀川先生は大東流合気柔術の秘術の数々を伝授されています。

 その後、昭和25年9月(1942)にオホーツクの地、湧別で大東流合気柔術幸道会を設立。

 昭和45年に、四十数年にわたる僻地における教育の献身により、教育界の功労者として勲五等瑞宝章の叙勲の栄誉に浴されている。


飛鳥投げ(受けは井上最高顧問)

昭和42年早稲田大学武道館にて

 一方、昭和49年には、元最高裁判所長官であった石田和外師の提唱によって、町村金五氏(自治大臣)、大塚博紀師(和道流空手名人)、 堂垣内尚弘氏(北海道知事)ら8氏の連盟によって永世名人位を贈られている。
 身長150㎝、体重52㎏の小柄な達人であった。

 昭和55年(1980)、逝去。享年86歳であった。